お子様ランチ

デミロマが書くちょっと長めの独り言

医者はいらない

 

どうすれば治るんだろ。

いつの間にか病気になっていたみたいです。

 

「好きな人が出来ない病」

 

恋愛が普通に世界に存在する人が書いた何気ないツイート。

この病の人は、体質の問題じゃなくて、あの手この手で惚れさせようとする人が寄ってこないだけなんだって。

恋が普通に存在すれば「まぁ、アリかな」と思える範囲の相手からアピールされると好きになる事が多いらしい。

 

ツイートを書いた本人曰く出会いを探している異性愛者向けのツイートだったみたい。

 

自分の恋愛志向や性的志向を病気だと思ったことはないけど、

何気ないツイートにすごいダメージをくらってしまった。

はたから見ると恋愛しないってそんなにダメなことなんだろうか。

 

恋愛しないとわかると周りから、

「まだ、出会っていないだけ」「強がっている」「理想が高い」

などと言われることがある。

 

まだ、出会っていないだけ。

ギリギリ分かる。いつか奇跡的に出会いがあるかもしれない。

 

強がっている。

これはいまいち分からない。恋人がいないことはそんなにダメなんだろうか。

 

理想が高い。

これは分からない。

そもそも、妥協してまで恋愛する意味はあるのだろうか。

 

世間的な恋愛の立ち位置ってなんなんだろ。

いわゆる適齢期になっても恋人がいなかったり、結婚してない人は社会的に駄目な人?

駄目な人にならないために恋愛を頑張るべき?

 

恋愛を普通にする人々にとって、

恋人のいてない状態はマイナスなのだろうか。

恋人が出来てやっとフラットの状態に戻れる?

 

私にとっては、

恋愛をしてない状態がフラットで

恋人がいなくても特に悪いと思わない。

 

 

悪いと思えないから治すこともできないね。

「2gether」

 

雑誌の特集をみて「2gether」の映画をみてきました。

 

2gether-movie.asmik-ace.co.jp

 

もともとは2020年にタイでオンエアされて全世界でシリーズ累計8億回以上も視聴されている大人気のドラマ。

映画はドラマの総集編+撮りおろしの新規シーンで構成されている。

本来であればタイで4月に公開される予定がコロナの影響で6月公開だった日本が世界で1番最初に上映されることになったそうです。

 

映画自体はドラマ版を一切見ずに映画を見た私でも十分に楽しめる構成になってました。

 

恋愛映画が嫌いなわけではないけど好き嫌いのある私にとってこの映画は好きなストーリーでとても楽しめました。

 

話自体はとても王道なラブストーリー

でも、前半に描かれる丁寧な伏線と後半の見事な伏線の回収に話にのめり込んで見てしまいます。

話自体もとても素敵なのですが、合間合間に挟み込まれる歌もとても素敵でした。

「scrubb」というタイのバンドの歌が話の中に丁寧に挟み込まれています。

字幕で表示される歌詞がとても素敵でした。

 

なにより主演の2人がとてもよかったです。

ブライトとウィンの演じるサラワットとタインが凄い素敵でした。

2時間の映画のなかで素敵なシーンが沢山あったのでドラマ版を見るのがとても楽しみです。

サラワットとタインの周りの友達たちもとても素敵な人たちばかりで、

話のメインはラブストーリーだけど友情も丁寧に描かれているところがとてもよかったです。

 

あまりにも映画がよくって、思わず映画をみたその足で本屋さんによって小説も買ったのでのんびりと読み進めるのが楽しみです。

映画ももう1度ぐらい見に行けるといいな。

だめなものは駄目

 

www.sankeibiz.jp

 

恋や愛、性行為とはそんなに素晴らしいものなのだろうか。

 

性被害から幼い子供を守るための法改正を話し合う場で、

立憲民主党の性犯罪刑法改正に関するワーキングチーム(WT)で、中学生を性被害から守るための法改正を議論した際、出席議員から「50歳近くの自分が14歳の子と性交したら、たとえ同意があっても捕まるのはおかしい」などとして、成人と中学生の性行為を一律に取り締まることに反対したことがわかった。

との意見があったらしい。

 

同意があれば何をしても良いわけではない。

そもそも50歳近い年齢の人と中学生の間で純粋な気持ちのみで同意がある場合があると思いこめる大人が恐ろしい。

 

世間では恋や愛を盾に様々な事を受け入れるように求めてくる。

果たしてそれは本当に正しいことなのだろうか。

 

世間では「嫌よ、嫌よも好きのうち」「好きな子には意地悪したくなる」などの意見も多くみられるが、私には一切理解できない。

「嫌なものはただただ嫌だし」

「あなたの事が好きだから、あの子は意地悪してきたんだよ。許してあげて」と言われても素直にうなずくことはできない。

 

好きだから何をしてもいいわけではないのだ。

「意地悪」なんて可愛い書き方しているけど、された方からすればただの加害である。

なぜ、「ただの加害」が好きという気持ちを付属した瞬間に「意地悪」なんて可愛い言い方に変えられるのであろう。

 

 

「50歳近くの自分が14歳の子と性交したら、たとえ同意があっても捕まるのはおかしい」

 

おかしくない。

いくらお互いに思いあっていようと、まだまだ体も出来上がっていない幼い子供と性交することはたとえ同意があっても良識のある大人としてやってはいけないことである。

 

なぜ、恋や愛があればすべてが許されると世間は思っているのだろうか。

恋や愛がたとえあったとしてもしてはいけないことは沢山ある。

 

当たり前ってなんだろう

 

 

パレットトークさんでデミロマンティックについて紹介がされた。

LGBTQ+について幅広く漫画で紹介しているパレットトークさんに取り上げてもらえることはとても嬉しい。

 

なかなか人に伝わりにくい感覚だからこそ多くの人にしってもらいたい。

多くの人に紹介されるからこそ、勘違いされやすいセクシャリティであることを改めて実感した。

 

ミロマンティックとは

「感情的なつながりのある人にのみ、恋愛感情を抱く」セクシャリティのことである。

 

この説明を聞いた人は「それって普通のことじゃないの」と思う人も多いのではないのだろうか。

私自身も初めてデミロマンティックの事を知ったときには「感情的なつながりのある人にのみ、恋愛感情を抱く」って当たり前の事だと思っていた。

 

 

感情的なつながりのある人にのみ恋愛感情を抱くから、あんまり簡単に好きな人は出来ないのは当たり前だし、

恋愛の「好き」は特別だと思っているからふいに聞かれた、かっこいい人の答えが好きな人に変換されるだなんて思ってなかったのだ。

 

でも、意外と世間はそうじゃないらしい。

そのことに気づいたのは「デミロマンティック」という言葉に出会ってからだった。

 

世間的にはかっこいいと好きはイコールで結び付く可能性のあるものだし、

ちょっとした関りがあるだけの人でも恋愛の対象になるらしい。

 

ミロマンティックの感覚というのは自認していても言葉で上手に説明することができない。

 

あまり恋愛感情を抱くことがないから結果的に恋愛の経験が少ない。

ミロマンティックであることを説明するとモテない事の言い訳に取られてしまう場合もある。

でも、仮に私がモテモテだったとしても恋愛の経験が豊富なイメージが持てない。

恋人をコロコロ変えるよりは1人の人と末永く付き合える方がよっぽど嬉しい。

 

 

なぜ私はデミロマンティックを自認して生活しているのか…

「デミロマンティック」の説明が当たり前に近い感覚だからこそ自認せずとも普通に生活できると思う。

わざわざ自認せずともなにも困らずに生活できるセクシャリティだとも思う。

名前を付けることで自分たちが特別と思いたいんじゃないかとの意見もある。

 

それでも、私が自認した状態で生活しているのはそのほうが生活しやすいからだ。

家族や友人などの周りの人に説明するわけでもなく、自分で自認してSNSで発信しているだけだけど知らなかったことよりずっと生活がしやすい。

 

これから先、年齢的には恋愛は結婚や出産に形を変えながら話題になるだろう。

そんな時に、自認していることで周りのペースと比べずに自分らしい形で人生に向き合うことができると思うのだ。

 

恋のはじまり

 

聴くと恋したくなる曲

 

歌番組のコーナーで使われていたフレーズに私は疑問が湧いた。

「恋ってしたくなるものなのだろうか」

 

ミロマンティックを自認している私にとって恋とは

気がつけば恋になっているような物だと思っていて自発的したくなるものではないからだ。

 

note.com

 

そんな事をつらつら考えていた時に読んだ記事。

デミロマ会議さんは毎回丁寧にデミロマの言葉にしにくい微妙な感覚を表現してくれる。

 

恋愛をするために、何かアクションを起こすということにものすごく抵抗があって、姑息な感じがしてしまう。

 

太字の1文に特に共感する。

きっかけを作ってまで恋愛をしたいわけではないのだ。

積極的な行動を起こさなければ、なかなか恋愛が始まらないことも知っている。だとすれば、デミロマンティックの私は恋愛しない道を選ぶ。

人を好きになったことはあるから、好きな人のために一生懸命になる気持ちはよく分かる。それでも、できることなら、自然に仲良くなりたい。普段はしない行動を取りたくないし、「彼をオトす10の方法」みたいなリスティクルに振り回されたくない。

 

人を好きになる方法もなんとなくわかるし、少しぐらい積極的に行動しないといけないことは重々理解している。

行動する人が多いからこそ「聴けば恋したくなる曲」が流行ることもわかる。

 

でも、

「できることなら、自然に仲良くなりたい。」

この1文に私の気持ちが代弁されている気がした。

 

好きになってもらうための取り繕った自分ではなく、

恋するために無理した私でもない、

ただ普通に生活している私と自然仲良くなった先に恋があればいいと思うのだ。

 

 

永遠をねがって

今日、いとこが結婚する。

 

世間的にいとことの関係ってどんな感じなんだろ。

私のいとこは近くに住んでいて月1以上のペースで顔を合わせている。

せっかくなので今の気持ちを少し残しておこうかな。

 

あなたとの関係は少し不思議ですね。

誕生日は私の方が半年だけ早い。時期的な関係で学年は1つ違う。

家族ぐるみで中がいいので、幼い頃に出かけるときはよくおそろいの服装をして双子に間違われていた。

双子に間違われるぐらいなのに、あなたと私で中身は真反対で少し面白い。

 

あなたは小さい頃から落ち着きがなくて少しお転婆で、

母たちは口をそろえてどこにいってもウロチョロしていたといっている。

引き合いに出される私はベビーカーが大好きでおとなしい子供だったらしい。

 

私は運動が苦手だけどあなたは運動が得意だね。

同じ時期に同じように水泳教室に通ったはずなのに、あなたは選手クラスまですすんだけれど結局私はなんとか水泳の授業で困らないぐらいまでしか成長しなかったね。

同じようにやっているはずになぜここまで違うのだろうと思っています。

 

私の兄弟とも私より仲良しだ。

私があまり面倒見のいい性格ではないのも相まって外からみれば、弟とあなたが兄弟で私が1人子に見られることも多かった。

マイペースに過ごしたい私にとって弟と過ごしてくれるあなたはありがたかったです。

 

趣味や思考も全然違いますね。

幼い頃はあんなに似ていたはずなのに、今では共通点を探す方が難しくなったね。

 

恋愛においても真反対だったね。

結婚願望もしっかりとあって、わりとずっと彼氏がいるイメージです。

私が恋バナに興味がないせいであまり詳しく聞いたことはないけれど。

いろんな事があったのに、今回の結婚の話が出てくるまでのスピードが速くて個人的にはすごくびっくりしています。

 

どんな話があったのかはわからないけれど、

あなたが幸せに過ごせるのであれば幸いです。

 

少しまえに証人の欄にサインして欲しいとお願いに来てくれましたね。

まさか頼まれると思ってなかったのでびっくりしました。

めんどくさそうにしてしまったのは少し気恥ずかしかったからで本当はとても嬉しかったよ。

まさかのミスがとてもあなたらしかったですね。

 

なにも考えずにかいた文章がそろそろ1000字を迎えようとしています。

ここらで終わりにしようかな。

 

結婚おめでとう。

末永くお幸せにね。

 

透明人間

 

種の保存をしなければいけないらしい。

 

LGBT理解増進法」の会合の中で、

「道徳的にLGBTは認められない」

「人間は生物学上、種の保存をしなければならず、LGBTはそれに背くもの」

との発言があったらしい。

 

国の行く末を決める国会議員の中ですら、こんなに偏見に満ち溢れた発言がなされる世界で誰が種を残したいと思うのだろう。

 

私はデミロマンティックを自認していてセクシュアルは迷子だがアセクシュアルかデミセクシュアルのどちらかだと思っている。

 

アセクorデミセクの私は性的な行為にあまり興味がない。

興味がないというよりは少し恐怖を感じている。

 

なにに恐怖を感じているのかというと、

万が一の確率であっても性的な行為の先に妊娠する可能性があることが怖い。

 

十月十日かけてゆっくりと自分の体が変化していくことも怖いし、

いくら無痛分娩などが選べる時代になったからといって、鼻からスイカを出すようとたとえられるような痛みに襲われることも怖い。

 

1度妊娠してしまえば逃げる事が出来ない世の中が怖い。

女性として主体的に選べる避妊の方法は限られているし、アフターピルの薬局での販売の承認だって一進一退で進む気配はあまりみえない。

望まない妊娠をした場合だって、中絶するためには相手の男の同意を得ろと言われる。

どこにも相談できずに、1人で子供を産み落として死なせてしまえば責められるのは母になった女子だけだ。

 

仮に無事に出産できたとして、

今の世の中では女性として子育てと家事と仕事の両立を求められる。

少子化が深刻だと口では言いながら子育て世代への支援は十分だとはいいがたい。

偏見や差別に満ちた世界で人1人を大人になるまで責任もって育て上げる自信が私にはない。

 

多様性が認められない不寛容な国で誰が安心して生活できるのだろうか。

 

LGBTを認めることで国は少子化が進んでしまうと考えているようだが、

いったい何を根拠にそんなことを考えているのだろう。

 

少子化が進むのはこの世界の生きにくさが原因だ。

バブル崩壊後の失われた20年を含めて夢や希望を抱くことが難し世界になった。

今までの世界では幸せの象徴であった結婚・出産もちょっとした贅沢品になりかねない世の中だ。

若者が夢や希望を抱けない時代に子供が増えるわけがない。

 

何か原因があってLGBTになったわけではない。

急に出てきたのではなく、今まで無理やり見ないようにしていただけなのだ。

LGBTの人々の存在を認めたって世界は何も変わらない。

だって存在を認めていなかっただけで昔から世界にいたのだから。

 

すべての人間が好きな人と生きる事を望むと思われている世界で生きている、

好きな人がいない透明人間の独り言でした。