市場にはいけない
この記事の中に出てくる「異性愛市場」がとても興味深かった。
異性愛市場とは、
少年と少女がカップルとして「つきあう」とこが子供同士の関係や地位を決める場。
市場と表されるのは、
カップルが驚くべき短期間にくっついたり離れたりして、その子供の価値が市場での
交換価値のようになるから。
異性愛市場が出現したクラスでは異性にとって魅力的か、カップルを成立させる有能な「仲介人」かどうかという、これまでとは違う基準で子供たちが位置付けられる。
異性愛市場は同性間の親しさや地位にかかわっている。
この市場に参加する一部の子供たちは、他の子どもたちより成熟している〈おませ〉とみなされる。
「おませグループ」に参加する同性の子どもたちは、「誰と誰がつきあっている」という共通の話題によってぐっと親しくなるし、クラスでの地位もあがる。
デミロマの私は異性愛市場になじむ事がまったく出来なかった。
恋愛の話が同性の親しさや地位に関わることはとてもよく理解していた。
でも周りに合わせて好きでもない人を好きと偽ることも出来なかったし、
すぐ付き合って別れたりするような関係なのに「誰と誰がつきあっている」という話題に興味を持つことが出来なかった。
いつの間にか他人からの評価の基準が「異性にとって魅力的」であることに変化していくことがとても怖かった。
世間に溢れる「モテ」を意識して作り出されたものが苦手だ。
「異性にとって魅力的」であることが幸せに繋がる近道であり、
異性から選んでもらえない、1人で過ごすことは不幸であるという空気感が嫌いだ。
異性愛市場に参加することは、異性愛セクシュアリティの枠組みを受け入れることになる。
異性愛の規範によると〈女〉の性的欲望は受動的で、〈男〉の性的欲求は能動的ということになっている。この枠組みでは、〈女〉は能動的な欲望を持った〈男〉の性の対象物とみなされる。
大多数の少女は、性の対象物である〈おませ〉にも、友だちから相手にされない〈おくて〉にもなりたくない。
いまだに異性愛市場に参加できない私はたぶん異性愛セクシュアリティの枠組みを受け入れることを拒否したいのだと思う。
女であるがゆえに受動的でいなければならない。
能動的な欲望をもった男に性の対象物としてみなされることを受け入れないといけない。
生まれた性別が女というだけで、誰かのものにならないと幸せになれないなんて思われたくない。
そもそも「性の対象物」として見てもらえなければ〈おくて〉とみなされ、同性間で友情を築けない世界は嫌だ。